|
はじめに
米ソ東西対立を背景とし、1979年のニカラグア革命を契機に深刻化することになった中米紛争は、この地域だけではなく、その周辺の国際政治・経済にも多大な変化をもたらした。特に、コスタリカのようなニカラグアに隣接する小国への影響は絶大であり、単にこの国の政治・経済だけではなく、その社会・国民意識をも激しく動揺させたのである。つまり、1980年代の前半期は、1949年以降の議会民主制度と社会福祉制度の採用、および徹底的な国民主義的教育によって内政的安定を維持することに成功してきたコスタリカ国家が、初めて経験する国民アイデンティティ分裂の危機であった。
それにもかかわらず、これまでの多くの中米研究者は、ラテンアメリカ地域の中でも突出したコスタリカ社会の「民主主義」や「平和主義」を強調し過ぎるあまりに、この国を中米紛争の外部に位置づけて理解しようとしてきた。例えば、1980年代前半の中米危機に触れ、「コスタリカはこの危機の5年間、ずっとその混乱の中の例外であり続けた」と述べたエクトル・ペレスの主張や、「コスタリカにおいては、政治的危機も民主主義的社会制度の安定が失われることも無かった」と主張したカルロス・フィゲロアの見解は中米史研究家の間で一般的常識となっている[1]。彼らがこのような結論に至った最大の原因は、言説史料の中に塗り込められたコスタリカ人執筆者のナショナリズムやそれに伴う誇張や虚偽を、十分な検討なしに事実として受け入れたからであろう。
他方で、本来ならこのようなナショナリスト的史観の欠点を補う研究するべき国際政治学者達は、多くの場合米国側の史料を過信する傾向にあり、中米紛争に直面したコスタリカ側の内情やその社会文化的特徴を見失いがちである。しばしば彼らは、「ワシントンが中米紛争をどう解釈したか」ということを、「中米紛争の実態」であるかのように錯覚している感がある。ドミノ理論の提唱や、イラン及びニカラグア・コントラ等に代表されるしばしば妄想的ですらあるレーガン時代の外交を見れば、米国政府の行った中米地域についての政治社会的分析が信頼性の高いものだとは言えないはずである。
そこで私は、中米紛争時のコスタリカ社会の民主性や平和性を表す最大の根拠とされ、コスタリカ外交の輝かしい成功とされているルイス=アルベルト・モンヘ大統領の中立宣言を取り上げ、その歴史を国内事情と国際的環境の両面から立体的に捉え直すことによって、ニカラグア革命以降のコスタリカ社会の実像に迫りたいと考える。また、本稿では、単にこの中立宣言をめぐるコスタリカ国内外の政治・経済・社会的変化だけでなく、モンヘの提示した中立イメージがコスタリカ世論や国際世論にどのように反映されたかについても詳述される。これによって、これまで見逃されてきた中立政策の大衆意識への影響に関する重要な一側面も明らかになるだろう。
次のページへ |
| |
| [1] |
| [1]
Héctor
Pérez
Brignoli, Breve
historia de Centroamérica, Madrid:
Alianza Editorial, 1988, p.176; Carlos Figueroa
Ibarra, “Centroamérica:
entre la crisis y la esperanza (1978-1990)”, Historia General de Centroamérica, Tomo Y,
Madrid: Sociedad Estatal Quinto Centenario/ FLACSO,
1993, p.61. |
|
| |
|