科学的社会主義者とは?

2005年に開催された日本ラテンアメリカ学会大会において、ある大学教員が私を「科学的社会主義者」と決めつけて批判した。間違いがないように言っておくが、私はベネディクト・アンダーソンのナショナリズム理論とアントニオ・グラムシの社会・文化理論を発展的に継承する立場であって、いわゆる「科学的社会主義者」ではない(もし、アンダーソンやグラムシを単純に科学的社会主義者と位置づけるのなら、それこそ研究者としては不勉強に過ぎる)。これまで私が書いてきたものを読めば一目瞭然である。それなのに、なぜこの人物は政治的匂いの漂う「科学的社会主義者」という言葉で私を呼んだのであろうか? 「アカ」と決めつけることによって潜在的に反共的な人々の反感を引き出し、私の主張する客観的コスタリカ論を社会的に貶めようというのが狙いであろう。これは、20世紀のアメリカ合衆国政府が、政府に従わない者をすべて「共産主義者」として弾圧したやり方とたいして変わりがない。現代社会は多様な思想・宗教・文化をもった人々の共生によって成り立っているはずなのに、なんと時代錯誤も甚だしいことであろう。コスタリカを「平和国家」として異常に美化する者たちのなかには、残念ながらこの手合いが存在する。

ちなみに、私自身は「科学的社会主義者」とは言えないが、私には社会・共産主義者の友人がたくさんいて、私はそのことを誇りに思っているし、彼(女)らからいかに多くのことを学んでいるか簡単に言い表すことができないほどである。また、私は特定の宗教を信仰してはいないが、信仰心が厚く創造力にあふれる世界観を有する友人たちからも、つねに多くのことを教えてもらっている。私がナショナリズムの危険性を主張する学術的立場であると知っているのに、4年間にわたって私のところに顔を出してくれている自衛官志望の学生もいるほどである。主義、主張はそれぞれ違うが、みんな私にとって大切な友人である。こうした多様な人々との友情が理解できずして、どうして「平和」について語ることができるというのだろうか。

 

 

小澤 20051020


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