Paper of Mr. Sindo

2008年11月更新


最近のコスタリカ評価について若干の問題

9)     おわりに

以上述べたように、コスタリカには、依然として寡頭制(オリガルキア)の存在、対外債務問題、対米従属問題、外交の自主性問題、非同盟運動への消極的な態度、米軍長期寄港問題、米州自由貿易圏推進に対する国内農業保護の問題、財政問題、政権の汚職、警察力の民主化の問題、高い選挙の棄権率、民営化推進により中小企業破壊の問題、労使協調路線推進の問題、教育、社会福祉制度の条件低下の問題、保守的メディアによる情報操作、拡大する貧富の差、人種差別、先住民の居住区問題[i]、環境保護問題、人権抑圧問題、男女性差問題、少女・少年売春問題、年少者労働問題など山積している。これらの問題の多くは、他の中南米諸国のほとんどが程度の差はあれ、大なり小なり抱えている共通の問題である。コスタリカで比較的中間層が発達しており、治安が良く、教育、社会福祉政策が進んでいるといっても、コスタリカだけが例外ではありえない。

現実政治は多面的かつ複雑で、本年7月の国会における米軍の長期寄港問題討議においても国民解放党の内部でさえも、憲法擁護の立場からそれに反対する議員とそれに賛成する議員とが大激論を交わしたのであった。いわんや当然のことながら、コスタリカ社会には、伝統的な寡頭制勢力(オリガルキア)、超保守的なメディアから、比較的発達した中農層、小農、中小企業家、あるいは都市中間層、貧困ライン以下の生活をする人口の3分の1を占める下層住民、最下層を構成する先住民、黒人、そうしたそれぞれの階層・階級に支持基盤を持つ政党、中道右派のキリスト教社会連合党、中道左派の国民解放党、二大政党に飽き足らない市民を結集する市民行動党、一層の社会改革をめざす民主勢力党、エコロジスト、宗教者、政治に無関心な無党派層、戦闘的なバナナ労働者労働組合、労使協調路線を追求する労働組合、親米、反米まで様々な階級的利害を代表する勢力が同居しているのである。これらをひとまとめにした「平和で民主的な」コスタリカ国家は、現実には存在しない。コスタリカ社会を「非武装・平和・中立・教育・福祉国家」として一面的に描くことによって、これらの政治的、経済的、社会的、階級的矛盾をめぐって、コスタリカ社会の各社会勢力がそれぞれの階級的基盤に立って、日常的に闘いをすすめていることを忘れてはならない。

いうならば、コスタリカは、国としては、折角「非武装・中立」の憲法と大統領宣言を有しているが、それらを非同盟の立場に立って、名実ともにそれぞれの内容を一層高めることができないでいるのが現状といえよう。それは、コスタリカには、こうした課題の担い手である強力な革新政党、強大な革新勢力が存在しないところからきているように思われる。

こうしたコスタリカを、以上述べた問題を抜きにして、「軍隊をすてた平和・積極的中立国家、模範的民主主義国家」と描くことは、歴史的事実に反するし、脱階級史観的な見方といわざるをえない[ii]。この現象は、ちょうどソ連のゴルバチョフ大統領の経済顧問であるミリューコフが1989年来日し、日本社会を調査して、「日本では生産及び生産手段の所有において極めて高度に社会化が進んでいる」と報告したことを思い出させる[iii]。もし、その報告を読んだソ連国民が当時の日本(いわゆる日本型社会が頂点に達していた時期)を素晴らしいものと考え、日本の支配層(自民党、財界など)と連帯や交流を進めたならば、ソ連の人々が目指す「社会主義」はその程度のものかと言うことになったと思う(実際にそうなったが)。同じように、コスタリカ社会を、「軍隊を捨てた平和・積極的中立国家、模範的民主主義国家」と見て賛美するならば、その人々の目指す平和・中立・民主主義の日本は、その程度のものかということになるであろう。

注1で引用した人々の中の多くの人が目指す「平和・中立・民主主義の日本」は、非同盟運動、核兵器廃絶運動、海外軍事基地撤去運動、憲法9条厳守運動に積極的に参加し[iv]、アメリカの帝国主義政策、覇権主義政策に断固反対し、国内においては経済の民主化を推進し、福祉政策を重要視し、大企業の横暴から勤労市民を擁護するなどといった内外政策で革新的政策を実行する国であるはずである。そうした目的からすれば、コスタリカ社会の歴史と現実は、かなり異なったものといわざるをえない。

現在、日本で行われているコスタリカ社会への積極的評価は、そのほとんどが、国民解放党の立場にたったバルガス氏、カレン女史、モンヘ元大統領、アリアス元大統領などの説明に基づいているように思える。しかし、自主的・客観的な分析にもとづいて、コスタリカをいわば等身大で見ること、社会科学的にいえば、コスタリカ社会にも民族的、階級的諸矛盾が存在するのであり、それらを史的唯物論の立場から見ることが重要であることをわれわれに教えているのではないであろうか。

() 2002年11月5日記。

 

 

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[i] 1万から3万人といわれる先住民は、全土の6.3%にあたる居留地で生活している。彼らは土地の所有権を有しないが、生活地域は白人の狩猟者、森林伐採人、無地農民、鉱山発掘者などによって頻繁に侵入を受けている。また、先住民を「考古学ツーリズム」の観光対象としているという批判もカトリック教会から出されている(Tjabel Daling, op.cit.,pp.48-49.)。コスタリカの先住民問題については、西川長夫・原毅彦『ラテンアメリカからの問いかけ』(人文書院、2000年)所収、小澤卓也「白色化された国民―コスタリカにおける国民イメージの創設」を参照。

[ii] 映画『軍隊をすてた国』は、ドキュメンタリーというよりも、製作者の主張を伝える宣伝映画と言ってよいであろうが、結論として「平和・民主・中立国家コスタリカ」のイメージを引き出すためにかなり主観的な論理の展開が行われている。それが意図的に行われているとは筆者には思われないが、もしそうであれば、小澤氏がいうように、「『平和』物語作りに情報操作が行われている」ことになるであろう(小澤卓也、前掲論文、110ページ)。

[iii] A.ミリューコフ編著『日本経済に学べ[ソ連・ミリューコフ報告]』中村裕・服部倫卓訳(朝日文庫、1991年)36−37ページ。

[iv] バルガス氏は、米軍基地と自衛隊の関係について、「結局、自衛隊という軍隊があるということが、米軍基地を日本に置くことを許容してしまう理由を作ってしまうことにもなっているわけです」と述べている(『カルロス・バルガス氏の講演』『コスタリカ報告集2002年1月―2月平和視察団のみたコスタリカ』164ページ)。しかし、これは、アメリカの帝国主義の世界制覇政策、日本のアメリカへの軍事的従属性、日米安保条約の性格を理解しない見地である。また、ここには、コスタリカのように国家安全保障は、集団的安全保障に委ねればよいという考え方が潜んでいる。筆者が知るかぎりでは、バルガス氏の諸発言の中に、日米軍事同盟である日米安保条約破棄の提言や、核廃絶の課題において最大の核保有国であるアメリカに核廃絶を強く要求する主張が見られないのが特徴である。こうした点を、小澤氏は、「あたかも自衛隊の存在に反対しながら、日米安保条約に従って日本に駐留する米軍の存在を肯定する反戦論者のようなものである」と鋭く批判しているが、正鵠を射た指摘であろう(小澤卓也、前掲論文、111ページ)。

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