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2008.05.09
正しい歴史、事実の継承
揉めるテーマに触れると引きずるな〜。
「危険思想の右翼め!」
と罵られている加瀬でございま〜す!
「第二次世界大戦の日本軍による蛮行を勉強しろ!」
なんて怒られておりま〜す!
「戦争中の美談を持って来て戦争を正当化するな。」
戦争を正当化しているつもりは毛頭ございませんが・・・・。
正しい歴史、正しい事実を知りたいと、そのように申し上げているのです。
文章を公開する。
その内容にもよると思うけれど、これがなかなか面倒くさい。
読者の中には文章の全体を見ず、言葉1つ1つに食いかかってくる人がいるからだ。
日本はアジアの国々において残虐蛮行を行った。それらを再度勉強された上で文章を書き掲載しては如何なものかと、そのような事を言う。
いつか書こう、書こうと思っていたのだが、まあ他人に言う事でも無いので黙っていたのだが、良い機会だから書いてしまおう。
私は幼少の頃から共産党による教育を受けて育ってきた子供だ。幼少とは小学校に入る前。5歳か6歳からだと記憶している。
私の母親の友人たちが日本共産党員だった。母親は共産思想では無かった。母親がどうして共産党思想の人たちと付き合うようになったかと言うと、原因は私だ。
私は3歳児より3年間、普通に歩けない障害をもった子供だった。そして30年前は障害を子供を保育所や幼稚園は入園拒否した。
今であれば人権ウンヌンと問題になるが、当時はそのような風習では無かった。
困っている私の母親に声をかけてくれたのだが共産党の人々だった。
私が幼少の頃に過ごした市は共産党が強く、そして行政は市民に優しかった。他の場所へ引っ越すたびに、その市が市民にとって、少なくとも我々にとって良かったと思うようになった。
市民には優しい市だった。
児童館という場所が市内に数か所(当時で6か所だったと記憶している)あり、午前中は私のような子供や経済的その他の事情で幼稚園へ通えない子供たを無料で受け入れ、先生と呼ばれる職員の女性が、普通の幼稚園で行うような事をしていた。
イモほりとか遠足とか、私は素敵な思い出を児童館でもらった。
午後は小学校の放校後、家に帰っても誰も居ない子供たちが集まっていた。
私が現在ボランティアで関わっている団体も似たような事をしている。そこに協力しているのは、私自身が幼少の頃に受けた恩恵へ恩返しをしたいという気持ちからだ。
共産党が強かった市であるのが理由だと思うが、国旗掲揚などは無い。
音楽の教科書の最後のページにある“君が世”という歌だが、それが日本の国歌だと解ったのは栃木県に引っ越してからだ。
卒業式などの式典で君が代が歌われる事は無く、音楽の授業で触れる事すら1度もなかった。
私は母親の付き合いから共産党思想にドップリつかり、強い影響を受けながら育った。
赤旗新聞を子供の時から読むだけでなく、小学一年生の時から日曜版だけではあるが、共産党員と一緒に赤旗新聞を配っていた。
小学校に上がる前か、上がった頃かは記憶が定かでないが、色々なデモに参加した。
核兵器所持反対、米国の原子力潜水艦寄港反対、党大会など、子供ながらも色々な行事に参加していた。1日15kmとか歩いた。
小学生にしながら、元陸上自衛隊の父と政党について論議をした。論議といっても私が一方的に共産党が唱える自民党批判を言い、それを父が黙って聞くだけであるけれど。
何を話したのかサッパリ覚えていないが、私が自民の保守を非難した時に
「保守の何が悪いんだ。」
と言った父の一言だけは記憶にとどまっている。
いや〜、ここまで思い起こして書いてみたが、なんだか変った子供だよなぁ〜。
おかげで当時は“ガンダム”とかに全く興味を持てなかったわけだ(笑)
そして朝日新聞などが正しいと言っている歴史を勉強してきた。日本軍が中国、韓国、アジア諸国において、どのような蛮行をしたかを、写真を見ながら教わった。日本はアジア中から嫌われていると教わった。
日本軍がアジア諸国において行ったと言われている蛮行を小学校低学年より写真を見ながら勉強していたのだ。
ちなみに私が幼少に見た写真は、最近の研究によって合成写真である事が判明している。
アジア中から嫌われていると言うが、日本嫌いなのは中国、韓国、北朝鮮の反日三兄弟のみで、それ以外は日本が好きと言う事も解った。
実は中国、韓国の国民調査において、日本は嫌いな国ベスト3にも入っているが、好きな国ベスト3にも入ってんだよな。
とにかく、私の受けた教育は反戦、反米、平和、軍隊放棄。
子供に解りやすい教育だった。
幼少の頃から共産党思想で育った私が20歳になった時、最初に投票したのは共産党。当然のチョイス。
そして共産党が唱える歴史に疑問を持ち始めたのは、実は海外に出るようになってから。
最初はマリワナ諸島のロタ島。グアム島の隣の小島。
いまでこそ有名なリゾート地だが十数年前は田舎だった。
そこで1人のお爺さんと出会った。日本語が堪能な現地人のお爺さん。
私が日本人というだけで本当に良くしてくれた。島のあちこちを車で連れまわってくれた。食事も御馳走してくれた。
最初は日本人が落とす金の効果かと思っていた。
そして旧日本軍がロタ島に駐屯していた時、病院として利用していた洞窟に連れて行かれた。大きな漢字が岩に彫ってあった。
そこでお爺さんが旧日本軍と一緒に行動していた事を教えてくれた。
私は日本兵に辛い思いをさせられ、それを私に教えたくてココに連れてきたのだと思った。
しかし違った。
お爺さんは日本の兵隊さんは本当に良くしてくれたと言う。当時は食べる物がなくて大変だったが、日本兵達と1つの食べ物を皆で分けて食べたと、そのような事を懐かしそうに話す。
日本兵は色々な事を教えてくれた。彼らは友達だと言っていた。
しかし幼少の頃から共産党思想で育った私は、たまたま、そのお爺さんが良い日本兵と一緒だったのだろうと、そのように考えていた。
子供の頃からの洗脳は、そんなお爺さん1人との出会いで解消されるものでは無い。
次にシンガポール。
当時20歳の私はテレサとロザリーの姉妹と出会い友達になった。今でも彼女達とは付き合いがある大切な友人。
そんな彼女が自分たちのお爺さんを紹介する。お爺さんは日本語が話せるので私が退屈しないだろうとの配慮からだ。
お爺さんはマレーシア国籍の中国人。俗にいう華僑だ。
日本人が最も蛮行を振るったと言われる中国人だ。
彼が最初に放った言葉を今でも覚えている。
「キサマ!日本人か!」
その口調は厳しいものであった。
自虐歴史を刷り込まれて育った私は、日本はアジアにおいて大罪を犯し、今でも嫌われているとスリ込まれていた。
この老人も日本人を憎む1人だと、そのように考えた。
しかしまったく違った。私が日本人だと解ると笑顔で迎えてくれた。厳しい口調は、彼が軍隊時に習った日本語であり、本人は厳しく言っている気持ちなぞ微塵もない。
自宅での食事にも呼ばれた。
そのお爺さんは日本軍の飯炊きをしていたそうだ。酒が入ると彼はご機嫌になり歌を歌いだした。
日本語の軍歌だった。
その後、君が代を歌う。
彼は当時の日本人がいかに素晴らしかったかを日本語で話す。
そして、それの前に駐屯していたイギリス人が、どれだけ酷かったかも語る。
私は自分が教わった自虐歴史を彼にぶつけてみたが、簡単な答えが返ってきた。
「それは嘘であります!」
やはり軍隊口調であった。
強姦もなければ意味もない暴力も殺しも無い。イギリス統治よりも治安も良かった。ゲリラの中国人が殺されたが彼らは悪かった。
そんな事を言っていた。
そして、なにより日本兵は我々を友人として扱ってくれた。日本人は兵隊さん、一般人を含め礼儀正しく優しかった。
中国人のお爺さんが、ロタ島のお爺さんと同じ事を言う。
私が幼少より教わってきた事とは全く違う事を2人とも言う。
しかしながら幼少からの教育というか洗脳は強く、その時も飯炊きだったので待遇を良くしてもらっていたのだろうと、そのように考えた。
お爺さん、貴方の周りにいた日本人が、たまたま優しかったんだろうとね。
インドネシアでもマレーシアでも日本兵が好きな老人に出会った。日本語はかなり忘れていたが、言いたい事は解った。インドネシアのお爺さんは、日本兵のおかげでインドネシアはオランダから独立できたと言う。
旧日本軍が今でも好きな老人とは出会うが、1度も日本兵を悪く言う老人たちと私は出会っていない。たまたまかもしれないが。
そして23歳の時にコスタリカに来た。
当時、コスタリカには多くの台湾人が生活していた。3000名くらいと記憶している。
日本語で考え、日本語を話す台湾人のお爺さん、お婆さん達。
彼らは台湾人でも戦争後に大陸から来た中国人では無い。
生粋の台湾人。
いかに日本の統治時代が良く、あとから入ってきた蒋介石、中国人が酷かったかを教えてくれた。
台湾の2・28事件について知ったのも、その時が初めてだ。
話は少し脱線するが、小林よしのりが描いた「台湾論」という漫画がある。コスタリカ在住の台湾人に貸したところ、私に戻ってくることは無かった。
台湾人の間で周り、そのままどこかに行ってしまった。
私の周囲にいる年配の台湾人たちは、小林よしのりが描いた台湾論は全体的に正しく、よくぞココまで勉強したと褒めていた。
とにかく、そのような方々と接する機会が増えるに従い、自分が学習してきた歴史に疑問を持つようになり、それから私の勉強が始まったわけだ。
そして勉強すればするほど、中国、韓国、北朝鮮が事実とは異なる、自分たちに都合が良い歴史を捏造し、それを共産党や公明党、旧社会党などの俗にいう左翼と呼ばれる人々が日本に浸透させてきたと感じるようになった。
ですから、アジア地区において日本軍の蛮行について、私は普通よりは知識があると思われます。戦時中の日本人蛮行の写真がネットなどに出る事があるが、殆どの写真を小学生の時点で見てます。
そして、それらの写真が合成写真であり、便意兵と呼ばれる中国人が行った蛮行を日本兵がした事にすり替えた事実が多い可能性が強い事も学習しました。日中戦争で中国が行った事を、今のチベットでも行っている。
成長しない国だな。
私自身が大人になり、やっと父とまともな話が出来るようになった。
下記は父が仕事の関係でラバウルに滞在した時の話。ちなみに、この時、父はすでに陸上自衛隊を離れ民間の通信会社にいた。
記:
現地の人たちが日本人には好意的で親日的だったのは、空爆は受けたが陸戦がなかったからかもしれない。戦わずに引き上げたからね。アメリカは避けて通ったのさ。日本人にいやな奴はいなかったという。その後やってきたアメリカ人やイギリス人達は地元民を土人として扱ったが、日本人はいろいろな事を教えてくれたとも言った。日本人が五万人くらいいたそうだが、混血児は二人しか生まれなかった。それも正式に結婚した。モラルがあったのだ。
父は死ぬ前に残してくれた話だ。他の場所では知らないが、少なくともラバウルの日本兵にはモラルがあった。
ソビエト兵や韓国軍とは大きく違う。
ソビエトがドイツを占領した後、10万人のドイツ女性がソビエト兵に強姦されている。強姦された10万人と言われる女性の内、10%に該当する1万人が亡くなっている。自殺のようだ。
ソビエト兵は戦後、満州から引き揚げる日本人女性も強姦しまくった。当時のソビエトは強姦が勝利者への褒美となっていたようだ。モラルなんぞあったもんじゃない。
韓国軍はベトナム戦争において現地ベトナム女性を強姦しまくった。その混血児が現在ベトナム国内において問題になっている。ベトナム政府が韓国政府に謝罪しろと言っても無視。
ちなみに韓国はベトナムに謝罪も賠償もしていない。
話が大きく脱線したので戻すが、海外に出ること無く日本国内にいれば、私は共産党思想を持ち間違った歴史を支持する人間だったと思う。
洗脳されている間は外から何を言われようと全く聞き入れない事を身をもって知っている。特に幼少からの洗脳は強いよぉ〜。
海外に出て日本で生活をしていては出会えないような人々の話を聞く事が出来て、やっと洗脳から脱出できた。
私は幸運。ラッキーマン。
であるから真実を知りたい、知った事実を伝えたいという欲求が他の人よりも強いのかもしれない。
こんなところです。
そして、私は日本共産党を嫌いなわけではありません。実は大変好きです。
多くの皆さんが誤解してるところですが、日本共産党とクソッタレ中国共産党は別物です。中国共産党と日本共産党を一緒にしないでください。
私は日本共産党の歴史認識については真実でないと認識しておりますが、内政においては自民党より共産党の方が市民にとっては住みやすいと思っている。
少なくとも政治家の汚職は無く、共産党であれば自民党がゴリ押しした障害者自立法という名の障害者はサッサと自殺でも何でもして早く死んでくれ法などを初めとする、その他の悪法は通さなかったであろう。
別の方法で財政赤字削減に挑むと思われる。公明党率いる国土省の50にもなる必要のない天下り先つぶしとか。
日本共産党の歴史認識が今のような間違いだらけでは無く、中国・韓国に対して理想や希望的観測では無く現実の目を抜け、今後の日本では必要がない在日特権を全て取っ払うくらいの厳しい対応が出来る政党だったら、私は真先に支持するんだけれどなぁ〜。
現状で政権を握られたら怖いもんなぁ〜。自民党よりも嫌だなぁ〜。
私は共産党思想というのは人間にとって理想であり、それが本当に実現出来るのであれば素晴らしい世界だろうと思っている。それは私が幼少の頃から共産党思想の中で育ったのが大きいと思われる。
しかしながら人間は共産思想を遂行出来る高尚で叡智ある生き物では無い。残念ながら無理。
今日の日記は全くまとまっていない。自分の文才の無さを痛烈に感じる。
申し訳ない。
「加瀬!お前は右翼なのか?左翼なのか?どっちだ?」
という突っ込みが聞こえてきそうだが、私は右翼でも左翼でも無い。
両方の翼がなければ空は飛べないからな。
最後の文章、自分で書いていて、ちょっと格好いいなって思っちゃったりしてます(笑)。
長文、失礼しました。
おしまい。
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